2018年06月13日

支援

先週、療育手帳の判定がありました。
まだ結果の通知は来ていません。

障害の度合いを判定してもらい、手帳の等級が決まります。
障害の程度により必要な支援も違うので、適切な支援を受けることができるようにと考えられたシステムだと思います。

手帳があるおかげで様々な支援を受けることができ、ありがたい制度です。
大変お世話になっています。

でも、判定の時期にはいろいろと考えてしまい、変に疲れてしまいます。

判定の方法についてなのか、制度そのものについてなのか、なにか不満があるのか?
自分でも理由がわからないのですがなんかいい気がしないのです。

判定のことについて母さんと話していると自然と雰囲気が悪くなってしまい、
祭輝にも伝染して調子が落ちてしまいます。

うーん、これが「知的」障害の難しさなのかな?

「身体」障害は目に見えるので、何が不自由なのかがわかりやすい。
どのような支援が必要なのかもわかりやすい。

一方、「知的」障害は周りからはわかりにくい。
「本人が」何に困っているのか?
一緒に生活していてもわかりにくい。

そもそも、本人は不自由を感じているんだろうか?と思うこともある。
本人が困っていないんなら、実は支援も不要なんじゃないか?
なんてことも思う。

全く関係のない話かもしれませんが、先日起きた新幹線での殺傷事件。
犯人にも適切な支援があればこんな事件は起きなかったじゃないか?
なんてことを思います。

難しいなあ、支援。

考えすぎか。
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posted by pegami at 23:54| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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